1994年の幕張電車区113系

先日、大学のコロナ対策が緩くなったので久しぶりにサークルの部室を漁っていると、1994年4月のJR電車編成表が出てきました。

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ちょうどNゲージ113系を作っていて、編成表資料の少なさに泣いていたので拝借。

 

今回は当時の幕張電車区113系の編成表を、その後の行方を踏まえてご紹介します。

 

時代背景

当時の千葉地区はまさに113系天国で、総武快速も房総ローカルも113系が独占していた時代です。

総武快速線はこの後95〜00年でE217系に置き換わり、房総ローカル用は大まかに分けるとE217系投入による総武快速からの玉突き・2006年前後の高崎から211系&国府津から2000番台転入(ここら辺で初期車・分散冷房車消滅)・2010年前後の209系投入(ここで完全消滅)の3段階で置き換えられています。

 

今回は編成表に加え、どこで置き換えられたかについても触れたいと思います。

 

総武快速

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ATCや地下線に対応する必要があることからほとんどが1000'番台ですが、一部シートピッチ改善車1500番台や、サハ111のみ2000番台もいました。

 

基本18編成、付属28編成で、今回は取り上げませんが大船配置分は基本編成が

  • Y1〜Y22(グリーン車2両とも平屋・4号車は一部化けサロ)
  • Y30〜Y40(4号車にサロ124入り) の33編成

付属編成は

  • Y51〜Y79 の29編成

で、幕張分と合わせると基本51編成はE217系E235系(予定)と同じものの、付属が57編成とE217系の46編成より11編成も多くいました。これは幕張分は房総ローカルも兼ねていたからのようです。

 

E217系投入後、普通車の半分くらいは幕張に残り房総ローカルに回った他、国府津へ転出した車両もいれば4両×2が小山へ転出しました。(後にE231系投入で2000年頃廃車)

グリーン車は1両だけ国府津に行った以外は全部廃車でした。

 

注目点としては、平成11年11月11日にマリ111編成に組み込まれて団体列車に使用されたクハ111-1111は、残念ながらローカルに残ることなく廃車となっています。

またマリ203編成のクハ111-1072は、現在いすみのポッポの丘に生首が保存されています。

f:id:Miyakono:20220418164113j:imageなんだかんだで幕張113系唯一の生き残り

 

房総ローカル用

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こちらは房総ローカル用です。

もともと地下線に入れる車両として作られたものの、後にATCを入れることとなり地上専用となった1000番台(図中斜字の1000番台)をはじめ、0番台や1000'番台もいます。

集中冷房車と分散冷房車が半々くらいと、若干の非冷房車が残っていました。少しだけグロベンの車両もいたりと、バラエティ豊かな時代だったと言えるでしょう。

 

注目車両/編成を挙げてみると

  • マリ70集中冷房車と分散冷房車の混結車。他の分散冷房車は屋根上にSIVが乗っかっていたものの、この編成の3両にはなかったとか(給電方式が違ったらしい)
  • マリ87,88…個人的にこの編成表で一番驚いた、まさかの8両固定編成。運用に入ってたいたかは不明。
  • モハ112/113-1124(マリ73)…当時の6両編成で唯一最後まで残った車両。運が強かったのか。
  • クハ111-507(マリ76)…廃車後JR四国に譲渡された。が、四国では部品取りだったようで多度津で放置されたのち解体された模様。
  • クハ111-192(マリ264)…簡易シールドビーム改造車、いわゆる"チ○ビーム"の車両。この後前面強化された際に普通のシールドビームになったとか。
  • クハ111-1201(マリ242)…事故で相方を失ったモハ車を改造して生まれた、幕張では唯一の先頭車化改造車。

 

当時の房総ローカル車で最後まで残った車両は意外と少ないことがわかります。

非ユニットサッシ車より若いはずのユニットサッシの1000'番台も、総武快速からの玉突きや2006年の2000番台・211系転入で多く廃車となっています。

特にE217系投入時、2006年まで残った分散冷房の初期車を差し置いて若い車両が潰されている例もあります。

現在のE217系置き換えにおいても、比較的後期の編成が早期に潰されていますが…歴史は繰り返すというやつでしょうか。

 

 

おまけとして事業用車も載せてあります。

クモユニはこの後96年に新聞輸送の用途を失い、-1と-3は長野へ渡り職員輸送や操車を務め、現在-1は解体待ち車両と一緒に放置、-3は東大宮で訓練機械になっています。f:id:Miyakono:20220418163604j:image 今も長野にいるクモユニ143-1。会うことはなかった幕張車同士、まさかこんなところで顔を合わせ明らかに若い方が先に解体されるとは

 

-2は東京総合車両センターの入替車として奇抜な塗装になったのち解体、-4は小山に転属したものの、早いうちに解体されています。

f:id:Miyakono:20220418163343j:imageクモユニ143-2の入替車色

クモヤは2008年頃幕張を去り、そのまま廃車解体されました。

 

当時は車両の転属が頻繁に行われていたようで、この後も車両の転出入やそれによる組み替え、編成番号変更があった可能性があります。深く追い切れていませんので、そこら辺はご了承ください。

また図では全てスカ色のように描かれていますが、国府津から転属直後で湘南色の車両が存在する可能性が否定できません。編成表には特に記載はありませんでした。

そして模型製作上必要であろう、前面強化やライト形状などの状況は編成表に載っていたものの、今回は全て反映させられていません。

 

部室には97年の編成表もあったので、今後時間があったら3年間の差を対比させつつ、前面の話も踏まえてみようかと思います。

 

【参考文献】