続・E217系に残る113系の形見

以前の「E217系に残る113系の形見」(https://library600m.hatenablog.jp/entry/2022/03/14/111612)の話の続き

 

前回不明だった点が明らかになったので改めてご紹介

 

かつて総武快速横須賀線を走っていた113系E217系に置き換える過渡期に、双方を混結させる話があり、対応装置を設置した上で試験したものの、実際に混用すると乗車位置が合わないなどの理由で営業運転では実施されなかったというものです。

 

前回、それらの装置は今もY-142編成のクハE216-2002に残っているということで、特徴的な床下機器を取り上げました。

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f:id:Miyakono:20220426105921j:image この2つが読替装置です。

f:id:Miyakono:20220426105918j:image (おそらく)制御系の読替装置
f:id:Miyakono:20220426105927j:image ブレーキ読替装置
f:id:Miyakono:20220426105908j:image KE70ジャンパ栓(右側)
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さて先日、このクハE216-2002に乗る機会があったのですが、車内にある連結器の操作レバー(正式名称は何なんだ?)の下に謎のレバーが

f:id:Miyakono:20220426110028j:image クハE216-2002

他の車両を見てみると

f:id:Miyakono:20220426110155j:image クハE217-2044

明らかにそのレバーがありません。

 

おそらくこれが先述の読替装置のスイッチにあたる、性能切替スイッチでしょうか。

西日本の223系などには装備されているようですが、東日本ではこれだけかと思われます。

(余談ですが、223系が221系と併結する際切替スイッチを扱っていたものの、切替忘れによる故障が頻発したためこのスイッチを固定した編成が、オレンジ帯が入る6000番台だそうです)

 

113系はとっくの昔に消え、この車両が組み込まれる編成も変わってしまった中まだ使えるのか、使えたとしたらどうなるのか?(加速度が113系並みになるとか?)、色々興味が湧いてきますね。

 

最近よくやってる鎌倉車両センターの有料イベントで取り上げていただけるなら行きたいところです。

1994年の幕張電車区113系

先日、大学のコロナ対策が緩くなったので久しぶりにサークルの部室を漁っていると、1994年4月のJR電車編成表が出てきました。

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ちょうどNゲージ113系を作っていて、編成表資料の少なさに泣いていたので拝借。

 

今回は当時の幕張電車区113系の編成表を、その後の行方を踏まえてご紹介します。

 

時代背景

当時の千葉地区はまさに113系天国で、総武快速も房総ローカルも113系が独占していた時代です。

総武快速線はこの後95〜00年でE217系に置き換わり、房総ローカル用は大まかに分けるとE217系投入による総武快速からの玉突き・2006年前後の高崎から211系&国府津から2000番台転入(ここら辺で初期車・分散冷房車消滅)・2010年前後の209系投入(ここで完全消滅)の3段階で置き換えられています。

 

今回は編成表に加え、どこで置き換えられたかについても触れたいと思います。

 

総武快速

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ATCや地下線に対応する必要があることからほとんどが1000'番台ですが、一部シートピッチ改善車1500番台や、サハ111のみ2000番台もいました。

 

基本18編成、付属28編成で、今回は取り上げませんが大船配置分は基本編成が

  • Y1〜Y22(グリーン車2両とも平屋・4号車は一部化けサロ)
  • Y30〜Y40(4号車にサロ124入り) の33編成

付属編成は

  • Y51〜Y79 の29編成

で、幕張分と合わせると基本51編成はE217系E235系(予定)と同じものの、付属が57編成とE217系の46編成より11編成も多くいました。これは幕張分は房総ローカルも兼ねていたからのようです。

 

E217系投入後、普通車の半分くらいは幕張に残り房総ローカルに回った他、国府津へ転出した車両もいれば4両×2が小山へ転出しました。(後にE231系投入で2000年頃廃車)

グリーン車は1両だけ国府津に行った以外は全部廃車でした。

 

注目点としては、平成11年11月11日にマリ111編成に組み込まれて団体列車に使用されたクハ111-1111は、残念ながらローカルに残ることなく廃車となっています。

またマリ203編成のクハ111-1072は、現在いすみのポッポの丘に生首が保存されています。

f:id:Miyakono:20220418164113j:imageなんだかんだで幕張113系唯一の生き残り

 

房総ローカル用

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こちらは房総ローカル用です。

もともと地下線に入れる車両として作られたものの、後にATCを入れることとなり地上専用となった1000番台(図中斜字の1000番台)をはじめ、0番台や1000'番台もいます。

集中冷房車と分散冷房車が半々くらいと、若干の非冷房車が残っていました。少しだけグロベンの車両もいたりと、バラエティ豊かな時代だったと言えるでしょう。

 

注目車両/編成を挙げてみると

  • マリ70集中冷房車と分散冷房車の混結車。他の分散冷房車は屋根上にSIVが乗っかっていたものの、この編成の3両にはなかったとか(給電方式が違ったらしい)
  • マリ87,88…個人的にこの編成表で一番驚いた、まさかの8両固定編成。運用に入ってたいたかは不明。
  • モハ112/113-1124(マリ73)…当時の6両編成で唯一最後まで残った車両。運が強かったのか。
  • クハ111-507(マリ76)…廃車後JR四国に譲渡された。が、四国では部品取りだったようで多度津で放置されたのち解体された模様。
  • クハ111-192(マリ264)…簡易シールドビーム改造車、いわゆる"チ○ビーム"の車両。この後前面強化された際に普通のシールドビームになったとか。
  • クハ111-1201(マリ242)…事故で相方を失ったモハ車を改造して生まれた、幕張では唯一の先頭車化改造車。

 

当時の房総ローカル車で最後まで残った車両は意外と少ないことがわかります。

非ユニットサッシ車より若いはずのユニットサッシの1000'番台も、総武快速からの玉突きや2006年の2000番台・211系転入で多く廃車となっています。

特にE217系投入時、2006年まで残った分散冷房の初期車を差し置いて若い車両が潰されている例もあります。

現在のE217系置き換えにおいても、比較的後期の編成が早期に潰されていますが…歴史は繰り返すというやつでしょうか。

 

 

おまけとして事業用車も載せてあります。

クモユニはこの後96年に新聞輸送の用途を失い、-1と-3は長野へ渡り職員輸送や操車を務め、現在-1は解体待ち車両と一緒に放置、-3は東大宮で訓練機械になっています。f:id:Miyakono:20220418163604j:image 今も長野にいるクモユニ143-1。会うことはなかった幕張車同士、まさかこんなところで顔を合わせ明らかに若い方が先に解体されるとは

 

-2は東京総合車両センターの入替車として奇抜な塗装になったのち解体、-4は小山に転属したものの、早いうちに解体されています。

f:id:Miyakono:20220418163343j:imageクモユニ143-2の入替車色

クモヤは2008年頃幕張を去り、そのまま廃車解体されました。

 

当時は車両の転属が頻繁に行われていたようで、この後も車両の転出入やそれによる組み替え、編成番号変更があった可能性があります。深く追い切れていませんので、そこら辺はご了承ください。

また図では全てスカ色のように描かれていますが、国府津から転属直後で湘南色の車両が存在する可能性が否定できません。編成表には特に記載はありませんでした。

そして模型製作上必要であろう、前面強化やライト形状などの状況は編成表に載っていたものの、今回は全て反映させられていません。

 

部室には97年の編成表もあったので、今後時間があったら3年間の差を対比させつつ、前面の話も踏まえてみようかと思います。

 

【参考文献】

E217系に残る113系の形見

かつて総武快速線を走っていた113系

これをE217系に置き換える過渡期に、双方を混結させる話があったのは(一部界隈で)有名な話ですね。

 

E217系の量産先行車・フナF-02編成(当時)の1号車・クハE216-2002に113系との読替装置および113系用のKE70ジャンパ栓を設置し、実際に試運転を行ったものの、混用すると乗車位置が合わないなどの理由で営業運転では実施されませんでした。

 なお、近鉄小田急では異なるブレーキ方式の車両を読替装置を介して連結し営業運転をしていたようで、ドア位置の問題が無ければ営業入りも実現していたのでしょうか。

 

 

それらの装備類は、首都圏から113系が完全に消えた今でも残っています。

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当時は基本編成の1号車だったクハE216-2002は、トイレ関連の組み替えにより現在ではY-142編成(付属)の増1号車に連結されています。

 

まずジャンパ栓 

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連結器左のジャンパ栓のうち、右の大きい方がKE70です。

現在は強化スカートが被ってしまいフタを開けることはできないでしょう。

 

そして読替装置

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「ブレーキ読替装置」「読替装置」と書かれたこの箱、まさにそれでしょうか。 

前者はE217系の電気指令ブレーキと113系の電磁直通ブレーキの読替を、後者はマスコンなどその他の読替を担っていたと思われます。

 

f:id:Miyakono:20220314100759j:imageブレーキ読替装置の銘板を見てみると、「BT05ブレーキ読替装置」「製造番号 0248」「製造年月 6年5月」が読み取れます。同車の落成は1994年(H6年)8月のため、落成時より搭載していたのでしょう。

f:id:Miyakono:20220116165823j:image奥から2番目のドア下にあります。

E217系113系併結の話を調べると、一部では『読替装置は撤去された』という話が出回っていますが現存しています。

この手の装置は乗務員室に切替スイッチがありそうですが、それの有無は不明です。(連結した時中間に入る車両じゃないので、ジロジロ観察しにくいんですよねぇー)

 

参考までに

f:id:Miyakono:20220207102855j:image クハE216-2000(基本1号車)
f:id:Miyakono:20220207102851j:image クハE216-1000(増結1号車)

いずれも読替装置の場所には何もありません。

一方

f:id:Miyakono:20220307215824j:image クハE216-2072(Y-2編成)
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一部の車両にはこのような箱が設置されています。こちらの場合は銘板がよく読み取れず、何なのかは不明です。

このあたりは今後詳しく調べる必要があります。

ちなみに

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ポッポの丘に保存されているクハ111-1000を見てみると、連結器右の3つのジャンパ栓のうち左端にあるのがKE70です。

この栓受がある車両は千葉方(11号車,増4号車)を向いていたので、久里浜方のクハE216にそのまま繋げられることに。

 

営業運転で実現していたら、なかなか面白い光景が繰り広げられていたのでしょう。見たかったなぁ。

さようならC601編成

ダイヤ改正から半年あまり、今になって幕張から209系がまた1編成旅立っていきました。f:id:Miyakono:20211225002155j:image

6両、そして209系2100番台のトップナンバーであるC601編成。

(以前も触れましたが)この編成は飛び抜けて前回の検査が遅く、E131系導入による運用離脱が危ぶまれていました。

ダイヤ改正後もしばらく走っていたものの4,5月頃運用を離脱、一時期習志野電車区疎開され、幕張区に戻ってからも警備員生活をしていました。

 

f:id:Miyakono:20211128211002j:image 放置されていた時

209系の伊豆急譲渡にあたり、報道で「秋頃もう一編成が譲渡される」とありました。それはどの編成なのか…は、この半年間の動きを見ていると容易に予想できる状態でした。

 


f:id:Miyakono:20211223220048j:imageすっかり住み慣れた千葉駅を去るC601編成。

 

このC601編成、なんといってもクハ208の緑色のガラスが特徴で、幕張の209系でも数少ないパッと見てわかる異端車でした。

 

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このガラスの色すきだった。

 

前回のC609編成と同じ段取りで甲種輸送されていきました。

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蘇我でのバカ停は撮影大会状態

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最後は新習志野でお見送り

 

幕張区209系のうち6両の東急製の車両は3編成(C601,4両になったC611,廃車となったC612)ありましたがこれで消滅、6両は全て新津製の車両となりました。

 

ところで今回の譲渡は、以前の6両の4両化のようにトイレなしモハユニットを抜いた4両編成でした。残されたモハユニットは後日C619編成に挟まれて長野へ廃車回送されましたとさ。

 

C609編成とともに、伊豆での活躍が楽しみですね

房総209系の運用と今後

2021年3月改正で、6両の4両化や廃車などの動きが見られた幕張の209系。

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改正から半年が経ち、動きも落ち着いた…と思われていた中で、突如離脱した編成が発生するなど、車両の動きはまだ終わっていません。

(先日運用を離脱したC619編成についてはこちらの記事を https://library600m.hatenablog.jp/entry/2021/11/24/161856 )

 

今回は幕張の209系のうち、6両編成の運用とそこから見える今後についてまとめます。

 

ここまでの動き

幕張区の209系のうち6両編成は26編成(C601〜C626)あり、房総各線のうち鹿島線を除くほぼ全域で運用されていました。

2021年3月改正のE131系投入により大規模な運用整理が行われ運用が削減。そのためダイヤ改正前後で6編成(C605,611,613,614,616,620)が4両に短縮3編成(C612,618,626)が廃車、2編成(C601,609)が伊豆急行に譲渡され、15編成が残っています。

伊豆急譲渡編成のうち、11月下旬に旅立ったC601編成は4両で譲渡され、残り2両をどうするの…?という最中、他の6両(C619編成)に挟んで幕張に留置中。このまま8両で廃車か…?というところです。

 

長らく運用を離脱していたC601編成と異なり、一時の疎開を挟みながらもついこの前まで運用に入っていたC619編成。このまま廃車となるのか…?と気になり、運用を調べようとした次第。

 

幕張区209系 6両編成運用表(東金線系統)

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こちらは以前作成したものに加筆修正しました。https://library600m.hatenablog.jp/entry/2021/04/25/002142 

深夜の大網行き終電から始まり、5日間(実質4日)で一巡する行程になっています。

図中の3日目で一旦幕張に入庫しますが、ほとんどの場合は同じ編成が夜に出庫してきます。(余談ですが、一度幕張で差し替えで運用離脱していたC609編成が復活して朝からたまげたことがあります)

 

以前は内房線外房線でも日常的に見られましたが大幅に削減され、内房線は君津、外房線は大原までとなっています。一方東金線は209系運用が全て6両となりました。

 

幕張区209系 6両編成運用表(北総系統)

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こちらは今回まとめた総武本線成田線系統です。

夕方に出区し、3晩各地で停泊して4日目の朝に幕張に帰る流れが3つあることがわかります。(確認が取れていないので反映していませんが、幕張に帰らず千葉駅の電留線に入るのもあるようです。)

 

両方を重ねてみると…?

東金線系統は5運用で北総系統は12運用の計17運用…に見えますが、朝入区した編成が夜出てくる、というのを考慮すると13運用ということになります。

ここで残された6両編成は15本(C602〜604,606〜610,615,617,619,621〜25)で、今回C619が離脱すると14編成となり、予備が1編成となってしまいます。

基本的に予備は2本以上あるため、このままC619編成を潰すと予備が足りなくなることになります。

 

しかし、現在大宮に検査入場している6両編成はいません。予備2本のうち1本は検査入場分とすると、この検査入場分がなければ1本で十分、かもしれません。

 

そして時はもう12月。

早いもので次のダイヤ改正まであと4ヶ月となりました。

次回改正では社長自ら減便や減車を示唆しているなど、"ご利用状況に合わせて"と一言添えて相当悲惨な改正になることが予想されます。

このまま3月までは予備1本で凌ぎ、改正で運用を減らして予備を捻出するという考えなのでしょうか。(検査にしろ余剰廃車にしろ、このままでは回せなくなってしまいます。)

 

次にワンマン化が進みそうな成田線の成田〜銚子を削るか、総武本線か、東金線の6両を4両に戻すのか…仮にC619編成が廃車となった場合、次回改正での6両運用の削減がほぼ確実に行われるでしょう。そうでなくとも怪しいですが。

 

まとめ
  • 幕張区209系 6両は13運用/14編成(C619を除く)
  • 検査入場がない分予備1本で回している→C619がいなくても平気
  • 2本目の予備は来春の減便減車改正で捻出?

 

そろそろダイヤ改正の概要が発表されますね。今年ほどのインパクトは無くとも、"減便減車"の規模がどれほどになるのか、良い変更もあるのかが気になるところ…。

 

【参考文献】

鉄道ダイヤ情報 2021年12月号(No.451) 巻末付録

総武本線成田線鹿島線内房線外房線東金線運用情報 https://loo-ool.com/rail/SO/96/ 

残された中間車はどうなる??

ついに旅立っていきました。

 

7月のC609編成に続き、C601編成も伊豆急へ譲渡されることとなり、11月23日に甲種輸送されました。

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甲種輸送の記録はまた別の記事でじっくり書くとして。

 

今回の甲種輸送は、前回のC609編成の時と違い4両に短縮された点が注目されます。

伊豆急では4両で使われるようで、前回持っていかれた6両のうち2両は部品取りになる模様です(同じように富士急に行った205系にも部品取り車が存在します)

今回は部品取り分が不要なため、トイレが無い方のモハ209/208-2101が抜かれて

クハ209-2101+モハ209/208-2102+クハ208-2101の4両で持っていかれました。

 

さて、以前6両を4両に短縮した時に出た中間車は編成丸ごと廃車となる6両に挟んでの配給でしたが、今回はどうでしょうか。

いくつか勝手な予想をしてみました。

 

① もう一本巻き添えにして配給 (★★★)

実はもう一本余剰になっていた…?

ここ最近ずっと運用に入っていない編成があったり、未だ気になる動きが見られる6両編成。

実はもう一編成余剰で、今回の譲渡の余りを待って廃車にする計画だった、というのも無くは無さそう。

後述のように、廃車にはせず伴走というのも考えられますね。

 

B.B.BASE長野 (★☆☆)

平日は暇しているB.B.BASEくん、ほかの菱形パンタ車(PS28)と違い中央線の狭小トンネルに突っ込めるPS33タイプのため、これに挟んで自走させれば長野まで持っていける…?

 

ただ殺したユニットを挟んで本線を自走できるかといったらウーン 可能性は低めですかね。

 

③ 来年春まで放置、余剰が出たらご一緒に (★★★)

シャチョー自ら来年春の改正で減便・減車を示唆しているJR東日本、来年の改正は悲惨なことになりそう。

房総各線も、(ただでさえ少ないし)減便は無くとも減車はありそうで、8両を6両に、6両を4両にという感じで絞れば1,2編成くらい余るのでは?

その時まで車庫で寝かせておいて、余りが出たらご一緒に👋…

 

かつては余った中間車を隅でしばらく放置してたこともありました。が、今はどうだか。

 

④ 単独で配給 (★☆☆)

以前、総武線E231系(10両)を武蔵野線(8両)に転用させる際、余った中間車を大宮から長野に運ぶのにブレーキ類の装置を仮設して直接機関車で配給というのがありました。そんな感じでこれも…?

とはいえ両側の連結器を交換する手間があるなど、非現実的な点は否めません。

 

E217系に繋げて(★★☆)

E235系の投入が一旦ストップしている中、粛々と廃車が進むE217系

E217系と209系は同じ世代で、システムもほぼ同じようなもの。加速度の違いなどで協調はできなくても、中に挟んで牽引されるのには問題なさそう。知らんけど?

 

模型のような連結が実現したら面白いなぁ

 

果たしてどうなるのか??

 

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ここまで下書きに書いたところで、動きがありました。

幕張区でC619編成が今回の2101ユニットを挟んでいるとのこと。

あっさり答えが出てしまいました😂

 

C619編成といえば、以前習志野電車区疎開されていた編成です。一緒に廃車なのか、単なる伴走車なのかは不明ですが…動向から目が離せません。

千葉駅にあった『アレ』

早いもので、今日(2021年11月20日)で千葉駅が新駅舎になって5年になります。

かつての千葉駅は改札が1階にあり、ホームからコンコースへ降りる階段がありました。

f:id:Miyakono:20211120001914j:image 階段からホームを望む
f:id:Miyakono:20211120001917j:image新駅舎開業により封鎖された旧階段

 

その階段の壁には、昔から個性的な駆け込み防止の啓発看板が貼られていました。

それがこれ
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顔が強烈(?)なこの看板は2種類あり、千葉駅の隠れた名物でもありましたが、旧駅舎と運命を共にし見納めとなりました。

 

が、

それからも不完全なものの、ひっそりと残っていました。

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ここは東金駅

東金駅は駅舎に面した1番線と跨線橋を渡った2番線がありますが、日中時間帯は2番線の列車は無いため、跨線橋に日中は列車来ないよ看板が掛けられます。

その看板、先程の千葉駅にあったのと同じデザインの看板の裏を使っているようで、反対側にはあの絵柄が見られました。

褪色が進んだのか色彩は無くほぼ白黒で、「かけこみ乗車はおやめください」の文字が消えてしまっているのでただの狂ったような絵になっています。

どうせ裏だからいっか!wとでも思ったのでしょうか。

 

ところが最近見てみると

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あっ

ほとんど無い…

 

お知らせ文に英文を追加するにあたり新しく看板を新調したようで、このような形になってしまいました。

頭だけ残っているとはいえ、ほとんどわからなくなってしまいました。

千葉駅旧駅舎の面影が一つ消えてしまったようで、ちょっぴり残念…

 

元の看板も保管されてればいいのですが、あれから全く見ませんね。どこかで残ってるといいなー